現地報告:
ガユーナ・セアロの人道支援とダイレクトアクション

2005年5-6月人道支援の記録
バンコク、パトゥタウニ村、ワット・プロック孤児院

人道支援事業:タイ支援 期間: 
5月30日〜6月4日 <収支報告>



カンボジア、ミャンマー、スリランカの事業報告でも触れましたが、中部大学のNPOセンターとNPO法人地球子ども村が行う、地球子ども交流事業への協力のため、タイでも子ども達へ参加を促し、代表の子どもを選出することを行いました。

一度ミャンマーから日本に戻った学生に、タイからも子ども達を呼びたいとの強い希望が有り、で直してくることになりました。カンボジアのプリンセス(当団体親善大使)、そしてミャンマーの協力者に知り合いの滞在中の僧侶を紹介され、今回タイを始めて訪問することになりました。

これまで、トランジットで何度もバンコクには立ち寄っていましたが、支援は初めてのことです。タイは、東南アジアの中でも開発が進んでおり、私達の印象では物質的な支援は必要ないのではという判断があったからです。もちろん、第一の理由は、私達は心繋がった人々から依頼を受けない限り、貧しい人や困った人を探して支援をすることはしないからです。

信頼関係にある直接協力者がいないうちに、事業を行うことにはリスクが伴います。ましてや、子どもを日本に連れて行くところまでたった数日の内にまとめるのは困難なことです。そこで、心強く思ったのは、これまでに培ってきたカンボジア、ミャンマーの協力者のご縁でした。

ここでもコアになったのは、若き僧侶達でした。まず、ミャンマーから紹介をされた子ども達の教育を行ったり、孤児院を運営しているというお寺を訪ねると、
20数名の子ども達に出会うことが出来ました。行儀がよく、勉強もよくやっている様子で、同行した日本の大学生もこの中から子ども達を、と考えていたようです。

しかし、事情を聞いてみれば、この子ども達は全て難民だということ。国籍はもちろん、誕生日や名前さえも分からない子ども達もいたのです。ミャンマーとタイの国境から国を逃れてきたミャンマーの子ども...らしい、ということ。親がいても、親は働きに出てしまい、子ども達と会うことは月に一度程度とのこと。それで、なぜ男の子ばかりなのか分かりました。女の子は二人しか居ませんでした。

残念ながら、国籍がなければパスポートを取ることも出来ず、日本へ来ることなど絶対に無理です。養護をしている僧侶達に、今、僧侶の手書きでもいいから、非正式でもいいから何らかの証明書をこの子ども達に残して置くようにお願いしました。今これをしておけば、いつの日か、ミャンマーもタイも豊かになったとき、彼らが自立に必要な身分証明書を取ることへの可能性が生まれます。今それさえもなければ、後々何の証明も無いからということで、何人でもない、この世に存在していることさえ認められないということになりかねません。

平和の交流...。こんな辛い思いをしなければいけない子ども達が、もうこの世に居なくなるようにするためにはどうしたらいいか、それを考える平和の会になればいいね、と日本の学生と話しました。

開発の進んだタイ。農村部ではまだまだ貧しい生活をしている人々が沢山いると聞きます。物の貧しさは、心の豊かさと自立の意識、そしてどうしたら自立できるかというきっかけや教育があれば、必ず「生きる喜び」をみつけ、人生を楽しむことが出来ると私達は信じています。そのために、出来る限りの必要な支援を続けて生きたいと思います。

日本の学生は、この後、村とバンコク都市部から男女2名ずつ、計4名の情熱溢れる子ども達に出会うことが出来、僧侶達の協力を得て招聘に結びつけることが出来ました。

これまで、国際事業に多く携わり、経験もある立派な大学生にも出会え、準備が進められています。この大学生が、4名の子ども達とであったとき、農村部(バンコクからほんの40分ほどのそんなに遠くない村)と都会にすむ子ども達のギャップに驚いていました。最初は、多少経済的に違いは有っても同じ国民だから大丈夫、と思っていたそうですが、都会の子から「携帯電話は持って行っていいのか、デジカメもだめなのか?」と質問を早速受け、ショックを受けていたようです。

この子ども交流事業も、実りのある会になるといいですね。1週間の日本滞在の間、3日ほど訪れて彼らの様子を伺う予定にしています。




難民孤児院の子ども達



子ども達選出を行う日本の大学生
タイ訪問・人道支援レポート
2005年5,6月 <収支報告書>