現地報告:
ガユーナ・セアロの人道支援とダイレクトアクション

2004年11月人道支援の記録
C村、S孤児院、陸軍A支団、K寺院、M寺院、N村、G村、B村

人道支援事業:ミャンマー支援 期間:11月24日〜
12月10日 <収支報告>
奉仕活動の普及啓発事業:04'海外ダイレクトアクションミャンマー人道支援隊
これまで、ミャンマーではヤンゴン、モン州、ニャゥンウー州、シャン州を主な拠点として、孤児院や村など、同じところへ物資や運営の支援を行ってきました。
各地域で、支援を受けていた人々の仲でも、グループやボランティア参加を望む協力者とのつながりが強まり、他の貧しい人々への支援も行えるようになりました。

C村、S孤児院

今回のダイレクトアクションには、カンボジアのプリンセス、カンタレス・シソワット親善大使が参加し、C村周辺の人道支援活動に加わりました。
隣国ミャンマーにおける、ガユーナ・セアロのダイレクトアクションを体験し、より深い理解を得て、今後のカンボジア支援、そして世界平和に向けてこれからの支援活動に役立てることが、プリンセスの最大の訪問目的です。

プリンセスは4日間の滞在でしたが、この期間で私達もミャンマー人のすばらしさをまた新たに発見することにもなりました。プリンセス、ということを知り、彼女の持つ力強いオーラと美しさに一目をおくものの、一切態度を変える事も特別扱いすることもなく、自然に受け入れていた彼らがいたからです。

 

カンタレス親善大使は、C村、S孤児院を訪問し、子ども達や村の人々へ手から手へ物資を届けるダイレクトアクションを行い、受け取った子ども達もことのほか緊張した様子でしたが、笑顔がいっぱいの3日間となりました。

また、C村で支援にいつも協力してくれている女性グループにとっても、プリンセルの訪問は、それ自体が彼女達への大きな贈り物となったようで、ミャンマーとカンボジア人が、立場を超え、一人の人間同士、女性同士として交流できるよいきっかけになったと思います。

 




バガン

滞在期間の半ば、12月4日より日本から”人道支援隊”として、カンボジアより体力を要するミャンマーの支援へチャレンジしようというボランティアが加わりました。アメリカ人ボランティアとあわせて13人がダイレクトアクションに参加しました。

バガンの支援で気づいたことは、観光客をだまそうとしたり、お金を多くもらおうとする人々が現れるようになってきたことです。とても残念に思います。観光が盛んになり、人々が潤うのは良いことですが、それによってミャンマーの美しさ、人の心にかげりが見えてくることは、外国から訪れる私達にはつらいものがあります。

例えば、偽者僧侶や小坊主の出現...。
ミャンマー仏教では、出家僧は非常に厳しい戒律の中にあります。”自らの悟り”や東洋的な美しさを求める外国人が、赤い法衣をまとい静寂に生きる僧侶に対し、特別な尊敬や憧れの思いがあるのは良く分かります。そして、托鉢をする僧侶にお布施がしてみたい、自分もその体験をしたいと行動することはすばらしいことです。しかし、本当にそうしたいのであれば、ミャンマーを理解し、信仰や文化背景を理解すること、尊重することが真の体験になると思います。

ミャンマーの僧侶は、たとえ子どもの小坊主であっても、人に物乞いをしたり、布施を催促することは決してなく、あってはいけないことです。そういう執着をけすための修行をしているといっても過言ではありません。現地の人々が彼らを尊敬するのも、その厳しい道を歩む人を応援したい、自分もあやかりたいという気持ちからだと思います。

托鉢は、12時までに食事を終える僧侶にとって朝の仕事であり、午後になっても托鉢をする僧侶はミャンマーにいません。午後になっても、パゴダに鉢を持って写真を撮ってくれというのは、明らかに彼らのあるべき姿ではないことは、ガイドブックで少しの知識を持つだけでも考えられることです。

観光客に考えて行動しろとは難しいお願いなのかもしれません。また、お金を落とすことで彼らが助かるのだから、という考えもあるでしょう。ただ、他に、お互いがモラルり気持ちのよい関係でできる方法はあるのではないかと思います。

ある日、子どもがぼろぼろの法衣を着て、鉢をもってお布施の催促に来ました。「あなたのお寺はどこ?先生はだれ?」そう聞いても答えることは出来ません。だれがその法衣を着せたの?「お母さんがこうしなさいと言った」悲しい答えが返ってきました。

そうしなければいけない事情もあったのでしょうが、他の人々はどんなに貧しくても、ちゃんと正しく仕事をして生きているのです。同情することなく厳しい顔を見せて怒りました。「だまされて悔しい」と、はっきり言いました。

また翌日の午後、あるパゴダへ行くと、大人と子どもが法衣を着て托鉢の鉢をもって観光客を意識して座っているのがみえました。喜んでシャッターを切る西洋人に、「この人たちは単にモデルですよ。お坊さんはこんな時間にこんなところで観光客の相手してお金をもらったりしません」と声をかけました。

その男性は、働いて、自分で正しく生きていくことは十分にできるのです。私達は、支援を続ける以上、どんな小さなことでも、関係ないとは思えません。出来る限りのダイレクトアクションをあらゆるところで行いたいと思っています。

ミャンマーの人々が大切にしているものを守るためにも、僧侶に対する支援は欠かせません。バガンでも、周辺寺院の200人の僧侶に対し、お米とお金、必需品を手渡しました。厳しい寺院では、若い僧侶は受け取ることをしても個人的にもらうことはできません。ひとりひとり受け取った後、全ての寄付物資はとりまとめ、布施は寺、村が受け取ったものとして僧侶から回収して持ち帰っていました。





初めての訪問 N村、G村

観光でにぎわう街をのぞいて、ミャンマーでは、ほとんどの地域が素朴な生活をしています。厳しい環境で貧しい暮らし、とも表現できますが、ミャンマーでは本当にそれを感じることは多くありません。むしろ、物や開発、外からの人が増えてくれば来るほど、貧しさを感じるのです。きっと、そこには他と比較した貧しさがあるからでしょう。

外国人なんて、見たこともない、という村では、人道支援隊に参加した方からの感想文でもありましたが、後になって、あぁ、この人たちの着ているものはぼろぼろだったんだ、と気付くほどです。私達は、そんなミャンマーの美しさを支援したいと思うのです。

ダムの建設が決まり、農地をなくしてしまった村。こんなことはミャンマーでは珍しくありません。N村とG村、そしてこの後に訪れたB村のことは、以前から聞いていました。貧しくて困っているところがあるから行ってほしいと。隣接しているN村とG村にまず訪れました。

お米、野菜、調味料、日用雑貨、衛生消耗品など、全家族に平等に渡るよう村の責任者と準備を整えます。2つの村からあわせて154世帯の人々が集まりました。人々が集まるのは、決まってお寺です。到着したとき、お寺では、子ども達が勉強をしていました。



トラックで荷物を村まで運ぶことは大変です。電話も携帯ももちろんありませんし、米や物資を積んだトラックを田舎の道に走らせることは時間がかかり、待ち合わせをしてもなかなかうまくいかないこともよくあります。

風船を持ってきた人が、子ども達とみんなで遊び始めます。子ども達どころか、大人も珍しくて楽しくて仕方が無い様子。それでも、時間はたち、なかなかトラックがきません。



しびれをきらしたアメリカ人の女性が、子ども達に自分で持ってきたおもちゃやお菓子を渡し始めました。20代前半のアメリカで育った彼女は、もちろん、良かれと、そして来たからには何か自分もやりたい、という気持ちだったと思います。

しかし、それを見た子ども達は、それまで行儀よく並んで待っていたのに、彼女に群がり、服を引っ張り数少ない物を取り合って混乱になりました。私達は、子ども達や村の人の目の前で、激しく彼女に注意しました。子ども達もびっくりして静まりました。少し厳しかったかもしれませんが、彼女にも、村の人々にも必要なことでした。

なんで、自分の基準ではなく、訪れたところの基準で考えられないのか。物がなければ楽しくないと思うのは間違いだし、そうすることがミャンマーの子どもと関わる方法ではないこと、外国人の印象を間違って与えることがいかに影響を与えるか、みんなで話し合いました。
そうするうちに、トラックが到着し、村の人々に物資を手渡すことが出来ました。

  



ありがとうB村!

N、G村への支援を終え、その足でB村へ向かいます。こちらは更に深刻で、2ヶ月前に状況を聞いた段階では200世帯が貧困にあえいでいるということでしたが、この2ヶ月の間に、さらに人々は暮らせなくなり、たずねた時点では50世帯にまで減っていました。

乾燥地帯にあるこの村では農作物もあまり育たなかった上に、農地を失い、生活ができなくなってしまったのです。何とかこの村でやりたい、そう願って残ったのがこの50世帯でした。坂道をトラックが登らないため、建物(ここもみんなが集まるところは例外なくお寺でした)から離れたところで車を止めました。車から降りたととたんに、建物から子ども達の歓迎の声が聞こえます。「こんにちは、セアロ(老師)、みなさん。ようこそお越しくださいました!」



そして、そのお寺の僧侶の一声で、大人はあっというまに建物から車まで一列に並び、物資のバケツリレーが始まります。男性は重い米袋をかついで往復します。あっという間に段取り欲建物に全ての荷物が運び込まれ、お米を1家族分ずつ袋に分ける作業もスムーズに進みました。

 

一人ひとり渡す作業がおわり、そこの僧侶にご挨拶するために、お寺の2階へあがらせていただきました。お話をしていると、知らないうちに、さっき物をもらって帰っていった人々がみんな戻ってきて上がってくるではないですか。みんながそろい、また僧侶がみなさんに声をかけます、「ありがとうございました、みなさんのご多幸をお祈りいたします!」子ども達が歓迎してくれたときと同じように、手を合わせ、声をそろえて大きな声で感謝の言葉がお寺に響きます。

お寺は、こんなに人が乗って床が抜けるのではないかと思うぐらいの簡素でぼろぼろのものです。机には、私達を迎えるために、フルーツが並んでいます。感謝と思いがいっぱいあふれています。自分達が食べるものもない、それでも何かしたいという気持ちがテーブルから溢れているのです。



心からのもてなしを受けないというのは、失礼だとも思うがこういうときはどうしたらいいのか、そんな質問もボランティア参加者から出ました。この人々から感じる豊かさは、物の豊かさとは比較にならない、私達の感覚では計り知れないほど困っています。ただ、それを本当に感じさせないものがあります。だから、日本人、アメリカ人の感覚で「失礼」だというような感覚にかられます。

しかし、村の4分の3の家族が引っ越さなければいけないような事情は、普通ではありません。このフルーツも、私達が食べなければ、彼らが分けて食べることが出来るのです。心を頂き、感謝し、物は頂く必要はありません。

みんな村を出ざるを得ない、どうしたらいいか、そんな村の人々の話に井戸はあるのかたずねてみました。「隣の村にある」。そこで、この村へみんなで井戸を作る提案をしました。村の責任者に、井戸を作る材料、働いた人への報酬、どう運営するかの提案をして、村の人々みんなが見ている前でお金を手渡しました。

村の人々は、大喜び。この村の連帯感、コミュニティーの美しさに心打たれ、そしてこの村で生活を続けていける第1歩が踏み出された喜びをみんなで分かち合いました。

  

また次にこの村を訪れるときには、きっと立派な井戸が出来ていることでしょう。彼らの笑顔と純粋な心が失われること無く、平和な村を育てていけることを願うばかりです。



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