村の人々との信頼関係も深まり、今回、大きな展開がありました。この村とは、ガユーナ・セアロ(NPO創設者)の7年以上に渡るダイレクトアクションを通じた支援からの信頼関係はあったものの、手に入りにくい物資の支給以上の活動はできずにいました。
なぜなら国の状況などの理由も背景にはありますが、厳しい環境下であっても国民は我慢強く誇りを持ち精神的に非常に自立しているので、彼らの生活と価値観に合わせた物質レベルの自立とは何なのかを見出さなければいけないからです。物質の欠如が、彼らが持っている精神性を失わせることなく、配給支援をこちらがやめても彼らの生活に支障がないようにするには何がベストなのか、ということをこれまで見つめてきました。
村の人々も、政府が介入してくるような開発を決して望んではおらず、また贅沢がしたいわけでもありません。一方では、ダイレクトアクションに参加した日本人、アメリカ人ボランティアの方々の多くが、そうした彼らの心の豊かさに驚き、物質的な豊かさとの違いを感じ学んでおられ、毎年参加希望者は増えています。
この両者と関わりながら、ダイレクトアクションを、物を支給するだけのものに終わらせることなく、物を与える人と受け取る人の両者が尊重しあう関係が続いていく民間レベルの国際交流につながればということも考えてきました。
そこで、村に外国人もミャンマー人も受け入れられる保養センターを作ってはどうかという提案をしました。多くのボランティア参加者が求めているものは、自分探しでもあり忙しい日常では味わえない心の豊かさの体験です。しかし、自分探しを国際協力に求めては、考え方によっては支援を受ける側の人々にとっては非常に失礼なことでもあり、困っている人を相手に自分の存在価値を見出したのでは勘違いに終わってしまう恐れも多分にあります。
ならば、外国人が土地の人々に触れ、自然の中で静かに過ごし英気を養う場にしてはという話です。それによって、村の人々にはまず建設のための雇用が提供でき、村全体のプロジェクトとして連帯感を更に強めてもらえることが出来ます。そして、マネジメントを身につけ保養センターを運営することができれば、安定した収入も見込むことができます。観光地になって村の良さが壊れてしまうことになっては残念ですが、保養センターならば今の村の雰囲気と土地柄を生かし壊さないものになるということです。
昨年の2月この村を訪れたときにこのような話をしていました。1年たって今回訪れたときには、本当に驚きました。村中の人々が協力して、お金を出し合い労働奉仕しながら、センター計画を既に始めていたのです。村の象徴である霊山に、大きなパゴダを建設し始め、100名は集える講堂とそのトイレを自分達の手で作り始めていたのです。
そして、センター予定地が中腹にあたるため、途中まで車で上がれるよう道路と駐車場のための土地を山に作っていました。この保養センター計画により村が生き生きと躍動しはじめたのです。村のあちらこちらで汗を流して人が働いています。手を振る笑顔がいっぱいのJ村でした。
そして、お米や物資の配布に、現地の僧侶が大勢参加してくださり、村の人々に300袋、子ども達に200袋手渡されました。これは、ミャンマーの上座部仏教では珍しいことで、ほとんどの場合、どんなに貧しくても寄附や奉仕をするのは人々で、修行僧が人々に対して物をあげることは普通にはありません。良い悪いは別として、それが彼らの伝統です。それでも、村の人々は大喜び、お坊さん達も喜ばれていました。
ミャンマーで、村の責任者、知恵ある指導者、秩序の中枢といえばほとんどが僧侶ですが、J村も例外ではありません。長老が動き、人々が共に動いてプロジェクトが進んでいました。こちらからできるのは限られた資金援助と提案ですが、それを200%もの形に表してしまうミャンマー人の底力をみせられた気がします。
保養センターは、外国人だけを当てにしたものではなく、近隣の村や街に住むミャンマー人が訪れてくれるようにとミャンマー人向けの施設(パゴダや寺)を作っています。もともと霊山で、寺やパゴダが点在する山ですから、きれいになればミャンマー人の来客もみこめます。ミャンマー人の喜ぶミャンマーらしい村になれば、訪れる外国人にとってもきっと素晴らしい思い出の地となることでしょう。今後の展開がますます楽しみになってきました。
T地区クリスチャン系J障害&孤児施設
この施設は、クリスチャン系の障害児と孤児が178名暮らしています。修道女は12名。仏教の国ミャンマーでは国からの支援は受けることは無く、社会や家族から見放された子ども達、人々がシスター達の手によって温かく養護されています。
施設の支援を始めて3年目になりますが、米と日用雑貨、消耗品や調味料と運営費用を中心に支援を行っています。そこでは、野菜を育て自給しており、障害を持つ子どもや人が発作を起こしたときなどに隔離できる医療施設を完成させたところです。重度の障害を持つ子ども、人々が暮らしていることが伺えます。
いつも訪れると、全員で元気いっぱいの笑顔と歌で迎えてくれ、私達を思い出し喜んでくれる子ども達。到着すると、すぐにいつもいっしょに歌って踊りはじめます。差別を受けてきたり、温かい養護を日ごろ受けていなければ、あんな笑顔やくったくのない歓迎は見ることはないでしょう。シスター達の人間同士として当然の助け合い、人道愛に頭が下がり、感謝の気持ちでいっぱいになります。
今回は、代表のシスターと町の市場にでかけ、必要な物資を購入しました。最も必要とし、最もコストがかかったのが薬でした。シスターは、私達が何のために支援を行っているのか、そして彼女自身の使命は何なのか、明確に理解しておられ、こちらの代表が仏教僧であっても、決して布教目的や同情からのものではないことを知っておられます。
彼女達は戒律にとても忠実で、非常に質素に暮らしています。そしてミャンマー人らしく誇りも持ち、寄付者にこびたり、不必要な感謝をみせたりすることはありません。私達も必要だからやっている、彼女も必要だからやっている...。正直に何がどれだけ必要か、必要以上を求めることも無く、必要なものを遠慮することも無い。気持ちのよい協働関係です。
短時間に効率よく本当に必要なものを購入することが出来ました。各地を訪れるとき、その村や施設の代表者が彼女のようであったらどれだけ楽に協働できるだろうと思います。人間誰しも、ちょっとした欲のために関係がおかしくなります。与える側と与えられる側の関係が、常に上下の関係になりがちです。それでは利用し、利用される取引の関係になってしまいます。これはどちら側に立っていても起こりうるし、いつぞや反対の立場になることが起きてくる可能性が潜んでいるのです。利害関係のない、真に人々の平和のみを目的とした協力支援は気持ちの良いものです。
この施設に関しては、自給し、足るを知って働くことを実践しているお手本になる施設ですが、経済的な自立は難しい状況です。軽度の障害者なら物の生産などが可能でしょうが、彼らのように重度の障害を持ち、またミャンマーの宗教的背景や社会の経済情勢を考えると、外からの支援や寄附に頼らざるを得ないところが多分にあると思います。
今回、僧侶とともに町へ買出しに行くことによって、シスター達がどのようなつながりを町の人々ともっているか、町の人々がどのように受け止めているかを見ることが出来ました。町の人々は彼女の仕事を理解している店主もあり、協力的でもありました。また、町の人から宗教的な偏見や差別というものも感じることはありませんでした。
そして、今回、僧侶と共に物資調達をすることによって、町の人々の見方も変化したように感じました。通訳が全ての店主に、なぜシスターと僧侶が買い物をしているかを説明すると、自分達も協力したいと値引きを多くしてくれたからです。
シスターが次に必要なものが出てきたとき、町の人々から引き続き協力をしてもらえることを期待しています。